ひとりを楽しむ

子育ても落ち着き、自分の時間がとれるようになってきました。一人でも充実した時間を過ごしてお伝えしていきます。

ポジティブさを見習う

最近は人付き合いネタばかりで恐縮です。

 

娘が小学校低学年くらいはとても精神的につらい日々でした。

 

娘の習い事での母の会の活動で、ボスママからことあるごとに不快な思いをさせられていたからです。もうずいぶんと前のことですので、忘れたいし、どんなことを言われたりされたりしたかは詳しくは書きませんが・・・。

 

その時同じように標的にされていたらしい方がいて、その方と一緒にお話しする機会があったときに思い切って、自分の状況を話してみたのです。

 

その方は見た目は日本人なんですが、大学を卒業するまで海外育ちです。オープンな方ですぐに親しく話せる関係になりました。

 

その方もボスママに大変怒っていらして、まあ大体わたしにされたことと同じような不快な目にあっておられました。それまで一人で辛いと思っていたけど、共感してくださる方がいて、少し救われる気がしました。でもそれだけではなかったです。

 

彼女、さすが外国育ちですね。すごくポジティブな言葉で締めくくってくれました。

 

「あなたと私がこうやっていじめられるのは、私たちが素敵だからよ!素敵な人は敵が多いのよ!

 

確かにその方は祖国で一番レベルの高い大学を卒業したそうで、話していても頭の回転も速く知識も豊富です。

 

(そうかぁ、そう考えればいじめられても耐えられるなぁ・・・)

 

私はその彼女ほど出来はよろしくありませんが、それからはそうやって「自分は素敵だから、こんな目に合うんだ」と言い聞かせると、不思議と精神的なダメージも弱まり、その後の数年をなんとか乗り切った覚えがあります。

 

そうやって過ごしながら年がたつにつれ、古株になっていった私は、そのボスママに言い返すこともできるような強い女になりました!(^^)!。

 

その外国育ちの方はその後祖国に帰ってしまい、短い付き合いとなってしまいましたが、私にとてもいい影響を与えてくれました。「謙遜は日本人の美徳」ですが、謙遜しているうちに自分に対する自信までなくなってしまっていたことを気付かされたのです。 

 

もし読者の方の中に同じような不快な思いをされている方がいらっしゃったら、ご自分にこう言ってくださいね。

 

「私が素敵だから、あの人はやっかんでるのね・・・」

嫌われることを気にしない

思えば小、中、高、大、社会人、母になってから・・・と必ず気が合わない人は周りに数人いました。

 

 

50年近く生きていると、大体私のことを嫌う人というのには一つの共通点があることに気が付きます。私を嫌う理由・・・「自分の支配下」におけないからのようです。

 

 

「毅然としている。」と昔からよく評されてきましたが、いい意味にも悪い意味にも使われました。要するに100パーセント手なずけられない、一匹オオカミ的で可愛げがないという印象を与えるらしく、私のそういった面がある人たちの気に障るようです。しかし持って生まれた性格ですから、仕方がないんだけどなぁ・・・。

 

 

そういう人の周りには、必ず2,3人おとりまきのような人がいて、一緒に私の悪口などを言っております。そして仲間はずれのようなことをするのです。

 

 

小学生、中学生ならまだ人格も未熟ですから、仕方がないとしても、大人になってからも職場にも複数いましたし、ママ友にももちろんおりました。なんと習い事の先生にもこういうタイプいました。きっとこういう人たちは一生こうなのでしょう!

 

 

嫌われることになれてしまいましたね、残念ながら。でも悲しくはありません。

そういった自分を支配下に置こうという人たちとかかわりたくはありません。

わたしから見て、そういった悪口言ったり、仲間はずれにしたりする人たちは劣等感が強く、全く人間的魅力を感じないです。そんな人たちとうまくやろうと思わなくてよいのです。

 

 

私はそういった人たちと同じくらいの人数、いやそれよりも少し多いくらい、素敵な人たちと出会ってともに豊かな時間を過ごしてきました。勉強に、仕事に、子育てに、まじめに取り組んで、誰にでも思いやりの気持ちで真摯に接する素敵な人たちです。そういう前向きな方がたは人の悪口など言わなくて、どんな人も受け入れる度量があります。今付き合っている人たちはこういった方ばかりです。

 

 

自分を嫌う人たちとうまくやろうと、悩んだりはしません。ただ距離をとるだけです。

 


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友達は少なくていい

数年前に15才くらい年上の女性、人生経験を積んだ方から聞いた言葉が心に残っています。

 

「自分にとって都合のいいだけの人を『友達』と呼ぶ人がいる。そういう人の『友達』になると大変である。」

 

その方は「私たち『友達』でしょう♪」と自分の都合の良いように相手を利用する人には気を付けなさい。」という意味でおっしゃったのでした。

 

(うん、なるほど~)と(残念ながら)その時脳裏に何人かの「友達」の顔が思い浮かんでしまいました。

 

・自分の話ばかり聞いてもらいたがって、私が話そうとすると興味ないらしく、自分の話にすりかえてしまう

・私にいいことがあったとき、露骨に不機嫌になる人

・やたらとプライバシーを詮索してくる

 

そんな人たちの顔が思い浮かんだのです。思えばこっちがいろいろしてあげるばかりで、受け取るものがなく精神的に消耗する関係でした。真のお友達じゃあなかったのですね。もう今はそういう人たちとは付きあわないようにしています。

 

その時30年くらいの付き合いで、自分のなかでは「親友」かな・・・と思う人の顔が浮かばなくて、よかったです。

 

その友達をはじめ、心地いいお付き合いの相手って、

・私が話すときにうなずきながらさえぎらずに聴いてくれて、ちゃんとコメントをしてくれる

・私にいいことがあったとき、一緒に喜んでくれる

・過度にプライバシーに踏み込まず、適度な距離感を保ってくれる

こういった人たちです。もちろん私もその人に対して、同じような存在でありたいと気を付けています。

 

友達って、本当は自分に都合のいい人なんじゃなくて、一番気を遣ってその関係を長く良好にするために努力が必要な存在なのだと思います。

 

でも人間ってそんなに多くの人に気遣いしたり、努力したりできっこありません。

 

だから私は友達は少なくていいのです。その少しの友達と、精神的に与えあう関係が築けたら充分で、たくさんの人とメアドやラインのアカウントを交換し合うことには魅力を感じません。

 

 

 

 

 

 

年賀状を見直す

早いもので今年もあと2か月ですね。

今日は3年くらい悩んでいたことをついに実行しました!

 

Facebookをやっているのですが、今日の投稿で

 

Facebookでお付き合いのある方には、年賀状をお出しするのをやめたいと思います。新年のあいさつはfacebookにてさせていただきたいと思います。大変勝手なお願いとは存じますが、よろしくお願いします。」

 

と伝えたのです。

 

日本ではまだ年賀状は重要な交流ツールだし、すごく勇気がいりましたが、生活をシンプルにしたいという気持ちには逆らえませんでした。毎年年末年始は、帰省などであわただしい中、いつも「年賀状を書かなきゃ!返事を書かなきゃ!」という心の焦りとともに過ごしていました。

 

また毎年年賀状送ったうえにさらにFacebook上でも新年のあいさつが繰り広げられ、なんかもう少しすっきりできないかなぁと思っていたこともありました。

 

 

投稿後すぐにFB友さんのおひとりから、

 

「実は私もシンプルにしたくて、3年くらい前にアドレスをお知らせしつつ、年賀状をやめてしまいました。すごくすっきりしましたよ!」

とコメントをいただきました。同じように思う方がいて、ちょっとほっとしました。

 

 

「儀礼はきちんとしなくてはいけない」という家庭で育ったので、これまでいろんなことを他人軸で考えることが多かったです。50歳も近くなり、これからは自分軸で生きていきたいと思います。この「年賀状やめます」という決意表明はその一歩です。

 

 

まだFacebookの付き合いがない方との年賀状はどうしようか・・・と考え中です。あまり一気にことを進めず、少しずつシンプル化を進めていこうと思います。

 

親友は自分自身!

「そんなに気が合うわけではない人と無理に人付き合いをせず、ひとりで楽しもう」と決めたのは3年くらい前です。

 

それまでお茶やランチしながら話すこととは

1.子供が勉強しない

2.家族の愚痴

3.共通の知り合いの話

だったでしょうか。でも私自身はどれにも実は関心がないんです。多少話は合わせていましたが、ほとんど聞き役に回ることが多かったのです。

 

子供が勉強しない・・・もちろんうちもあまりする方ではありませんが、それは娘の問題であって、私が困ることはないので。彼女には「勉強しないと後悔することはあるかもよ~」とは伝えているけど、ママ友と2時間延々と話さなければいけないほど気にはしていません。しかし世の中のお母様はこの話題で2時間以上もつんですねぇ。

 

家族の愚痴・・・ご本人には大問題かもしれないですが、私がその家族と暮らすわけでもないので。こちらも数分なら聞きますが、エンドレスだとつらいなぁ。自分自身は愚痴は一言で切り上げるようにします。

 

共通の知り合いの噂話・・・いいお話が聞けることもありますが、なぜかネガティブな話も多いです。話している人のバイアスがかかっている場合もあるので、100パーセントそのまま受け取ってはいけないですね。

 

こんなことを聞き続けて数年、そんな話題に飽き飽きしてしまいました。40代も後半に差し掛かり、自分の残り時間の少なさを実感し始めたころ、(こんなことばかりで一生終えてはいけない)と人間関係の整理を始めたのです。

 

今は社交は最低限に抑えて、読みたい本を読んだり、ビデオを借りてきて観たり、展覧会に行ったり、フランス語の勉強をし一人の時間を楽しんでいます。教養を深めると、自分自身について新たな発見があって、一人でも寂しくないと感じます。自分と対話ができている感じです。興味がないことを繰り出す相手と長時間過ごすより、ずっと有意義に感じます。

 

自分の一番の親友は自分自身!


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 最近はこちらを読んでいました。なんでもこなす器用な天才かと思っていたら、実際のダ・ヴィンチは不器用でちょっと厄介者だったみたい。むつかしいかと思ってたけど、文章がうまいのか、訳こなれているのか、すいすいと読めました。